僕はここにすわって一人の詩人を読んでいる。
ホールには大勢の人々がいるが、ちっともそんな気配は感じられない。
大勢の人間はみな書物の中にいるのだ。
ときどき、書物のページの中で彼らは動く。
眠っている人間が、二つの夢の間を寝返りするみたいだ。
読書する人々の中に座っているのは心が楽しい。
なぜ人間はいつもこのようであってくれぬのだろう。
誰かのそばへ行って、ちょっと肩に手を置いても、相手はそれに気づかない。
椅子から立ち上がり側に、隣の人とぶつかって、詫び言をいっても、
ただ相手は声のする方を向いて頷くだけだ。
頭がこちらを向いても、目はなんにも見ていない。
そんな人間の髪は眠っている人の髪のようにたいへん優しい。
僕は楽しい。
僕はここに座って、一人の詩人を持っているのだ。


リルケ『マルテの手記』